被災者の心を聴く

東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼にボランティアに行った。

私はマッサージボランティアとして参加したが、他にも住民さんたちとお茶を飲みお話をしたりする人たちもいた。

団体の中では「マッサージ部隊」「カフェ部隊」と呼んでいる。

仮設住宅の談話室(集会場)に集まってもらい、マッサージを受けてお茶を飲んでお話をしてくつろいでもらうかたち。

 

複数人で、わいわいしている時は、笑ったりお話したり楽しそうに見える。

だが、住民さんが1人になったとき、違った顔を垣間見せてもらうことになった。

 

84歳ぐらいにおじいさん。 ずっと気仙沼で生活している人。

戦時中もチリ津波のときも、3.11のときも。 「でも、戦争の時が一番つらかったなぁ…」ということを言った。

機銃掃射が横にまで飛んできて、周りで銃弾がパラパラ落ちる音を聞いた。

昼間はおっかなくて外に出れなくて、夜中から明け方に畑に行ってイモ掘ってふかして食べていた。

助けてくれる人なんていないから、自分でどうにかしなきゃいけなかった。

それに比べて、震災のときは、数日すれば救助・救援が来る。助けがくるぶん、よかったわ、と。

 

私がマッサージをしたおばあさん。集まっているときはニコニコしていたし、マッサージもふつうに受けてくれていた。

そこでのボランティアが終わり間近になり、手が空いたので外にでて仮設住宅のまわりを歩いていると、

そのおばあさんの姿があった。 声をかけたら、震災にあったときのことを話してくれた。

「女3人おいていっちまった」「旦那は船で出て、帰ってきてねんだ…」と、その後の生活のことも話してくれた。

 

ただただ、聴くだけしかできない。かける言葉なんて見つからない。

一生癒えない心の痛みなんだろう、でも、話すことで少しは軽くなるのかもしれない。

1人だからこそ話せる、心の中のこと。仮設の住民さんたちでも、それぞれに状況が異なる中で、

そこでは気持ちの奥にある部分を話せないのだろうことは、なんとなくわかる。

話しやすい相手、が、ボランティアにあたるのかもしれない(言い方が適切ではないかもしれないが)

 

「被災者」という言葉で一括りにしてしまってはいるが、その内情は、それぞれに違う。まずはそれを知ること。

「寄り添う」なんて言葉でしか表現できないが、寄り添えているかどうかすらあやしいものだ。

こちらの勝手な自己満足になってないか?そんなことを自分自身に問いかける・・・

 

もうすぐ5年

「被災地」という言葉で呼ぶことに、少し違和感を持っていたのだが、

被災地に降り立ち、人の話しを聴き、現状をかんじると、

実際の生活は完全には元通りになっていないし、心や気持ちの面でも立ち直れていないことは、強く感じた。